人間心理をメンヘラバツイチの視点から語る(仮)

アラフォーバツイチメンヘラてんかん持ちのたぬこが愛ある辛口で人の心のあやを読み解く。

他人の愛情をないがしろにする人の心理について考えてみる

一言で言ってしまえば、好意の返報性が通用しない相手です。好意の返報性とは、好きになってくれた相手を好きになるということです。片想いしている相手よりも、自分を一途に想ってくれる相手に心が傾く事などを指します。


もちろん、人は尽くされるとそれが当たり前になってしまうものです。


私も、尽くされている恋愛は慣れるとそれが当たり前になってしまい、ともすれば感謝する気持ちを忘れがちでした。


ところが反対に、尽くす恋愛だといつまで経っても慣れません。会う度にドキドキして、何かしてあげる事が幸せで、お礼を言われれば嬉しくて嬉しくて。


理想は、最初はどちらかから始まった恋が、一方が尽くす時期を経て落ち着き、穏やかにお互い助け合い認め合いリスペクトし合える…そんな関係が続くことでしょうか。世の中の多くの人は夫婦になったらそういった関係を築きあげ、家庭生活を営んでいるのだと思います。


しかし、私と元夫はそういった関係を築くことができませんでした。


私は病気がちなせいもあって自己肯定感が低く、卑屈で「私なんかに愛されても元夫は迷惑に違いない」という思いが無意識のうちにあったのです。それでいて「こんな私でも、せっかく結婚したのだから丸ごと受け止めてほしい」という気持ちもありました。


一方、元夫は今思えばモラハラ気質で、かつマインドコントロール術に長けていました。(モラハラの件についてはまた改めて書くかもしれません。)単身赴任状態で仕事をしていましたが、しょっちゅう電話をよこして色々とアドバイスをしました。


私は私なりに元夫のことを愛していましたが、彼は「俺はお前の介護士だからいい奴がいたら譲る」と付き合い始めた当初から言っていました。


また、どんな些細な言い争いでも、すぐに「別れる」と言いだす癖がありました。この二点だけでも、私はいつも、精神的に頼りない、本当にパートナーと呼べるんだろうかという不安を感じていました。


そのため、私は元夫の非常に理不尽な要求をいくつも飲みました。そのため、生活費も入れて貰えない上に集られ、暴力暴言などのDVモラハラを経て離婚に至りました。


このように、弱い人格と不幸な人格が結びつくと悲惨な結果が待っています。身近な人の好意を利用して平気な人間はいくらでもいます。


尽くされると当たり前になる以上に傲慢になる人というのは確かにいます。その人が百パーセントそういう人格だとは言い切れません。元夫にしろ、私が相手でなければうまくいった可能性も全くゼロではないのです。(限りなくゼロに近いですが)


そういった人達が何を考えているのか。


被害者(こう呼んでしまいます)を優越感の道具にしたい。心の底ではそう思っています。


彼らにとって、自分に片想いしている相手は決して対等になることはありません。普通の相手ならば誠実に愛せば、想いが通じないなら通じないなりの答えが返ってきます。


しかし彼らはどんどんエスカレートし、どんどんサディスティックになっていきます。まるでこちらの気持ちを試すかのようです。


そんな時は思いっきり、一気にこちらから手を切りましょう。きっと相手は面食らい、慌てます。そして気づくのです。自分がこちらをたぶらかしているつもりが「想われてる自分」がいつの間にか自分のアイデンティティになっていたということを。


読んでくださってありがとうございます。

SNSにハマる人はなぜ不幸なのかを徹底的に書いてく

これもおなじみの、SNS上で見栄を張る人達です。今じゃ珍しくもありませんね。

 

 

特に女性同士なら、「あの子ほんとはあんなキャラじゃないのに。。」とか「うわ、社会人デビュー?痛々しすぎる。。」なんて思い当たる知り合いの一人や二人は思い当たるんじゃないでしょうか。

 

 

これは何も女性についてだけ言えることではありません。男性についても言えることです。男性のぶりっ子が台頭したのを私などもよく感じます。それだけ、男性も他人に媚びたい、よく思われたい、優しい言い方をすれば人間関係を円滑に進めたいという思いがあるのでしょう。

 

 

それが男性のSNS盛りです。若くて外見に自信のあるタイプならインスタで自慢の角度で写真を撮り、もう少し年齢が上ならばフェイスブックで妻とのラブラブぶりや一家団欒の様子をアピール。

 

 

そして老いも若きも男も女も友達、仲間大好き!です。若ければ遊び仲間やサークル仲間やバイト仲間や学校の仲間、年齢がいけば仕事仲間や趣味の仲間やママ友仲間に飲み仲間。皆で集まり写真を撮って、ねえ!私!オレ!幸せでしょ!充実してるでしょ!。。声にならない悲鳴が画面から聞こえてくるかのようです。

 

 

本当に日々普通に生活していて、たまに集まった時に集合写真を撮るというのはごく当たり前のことです。しかし問題なのは、SNSに載せることを最優先に行動している人が少なからずいるということなのです。

 

 

しかも、元からいたいわゆる見栄っ張りな性格の人に、SNSが拍車をかけました。

 

 

SNSが出てきたことによって、皆とてもセルフプロデュースが上手くなったのです。

その結果皆自分のことを実際よりもイケてるんじゃないかと勘違いしてしまうようになったとも言えるわけです。傍から見れば平凡で誰からも注目されないのに自意識過剰になってしまう。

 

 

その結果、SNS上で見栄を張る人が大量発生したわけなんですね。

 

 

少し前に『一億総ツッコミ時代』という本がヒットしたけれど、現在は一億総自意識過剰時代とも言えます。そしてそれは、インターネット、そしてSNSが影響しているということは断言できます。

 

 

さて、ネット上で見栄を張ってしまう人達は、望むように創り上げた自分の世界を守るためには手段を選びません。

 

 

ですから例えば、自分の投稿にそぐわないと自分が感じるコメントがつくと、平気で削除してしまったりもします。

 

 

もちろん、中傷ならば当然です。けれど例えば、自分を称賛する内容でなかった、とか、ちょっとからかうような内容だった、とかどうでもいいことで、たとえコメントしたのが親しい相手でも消してしまうのです。

 

 

少し話は逸れますが、このような事をする人にSNSをやる資格はありません。

他人の意見を聞かない人に、自分の意見を言う資格はないのです。たかがSNSの投稿であってでも、です。

 

 

少々お説教がましくなってしまいました。申し訳ありません。

 

 

本題に戻りますと、このような人達はとにかく、根本に自信のなさがあるのです。みてくれや肩書がどんなにキラキラしていても彼/彼女は虚勢を張り、華やかな自分、愛されている自分、成功した自分を懸命に演出しています。

 

 

そういった人達は、精一杯幸福ぶることを生きる糧にしているので、私達にできることは何もありません。「いいね!」をポチるくらいしか。。

 

 

しかし、それでは愛がないので最後にもう一つ。

 

 

そのようなSNS上で見栄を張る人の地の姿が露呈した時(ばれた時)、いい気味だと思って眺めていたらあなたはそのままの立ち位置にいることでしょう。

 

 

しかし、もしその時に相手の本当の姿を認めてあげて手を差し伸べることができたなら、あなた自身が「人の心の痛みを理解する」「人の心の複雑さを想像する」「友情/愛情を深められる」など、さまざまな成長ができることでしょう。

 

 

そして何より相手は、くだらない見栄がなくとも自分を受け入れてくれる人がいることに、心の底から安心できるはずです。

 

 

読んでくださってありがとうございます。

 

 

 

 

男女の友情は成立するか?

のっけから、永遠に続くテーマを取り上げてしまいました。でもこれは、今日一応自分の結論は出たんですよ。

 

「人による」

 

別に考えるのが面倒になって投げやりになったわけでは決してなく、私なりにちゃーんと根拠はあるのです。

 

もう少し詳しく説明いたしましょう。

 

「男女の友情が成立するかどうかは、その人が精神的に自立しているかどうかによる」

 

これならご納得いただけたでしょうか?

 

これを読んでくださっているあなたの周りにも必ず一人はいる(いた)であろう「あたし男っぽいから男の子といる方が気が楽なんだよね〜」女、アレは典型的な「駄目な」タイプの人です。

 

そういう人はお気づきの通り、精神的に全く自立していません。ですから、ピンチになると(つまり都合が悪くなると)異性ということを利用して、友情の範囲を超えて甘えたり頼ったりしても平気な人達です。

 

相手が自分に恋愛感情を持っていることを知りながら、それを利用して平気なのはまともな大人の友情ではありません。

 

そしてもちろん、恋愛感情を隠してあわよくばと友達付き合いをするのも…期待する気持ちはわかります。。わかりますが、相手に対する見極めは必要です。

 

男性でも女性でも、自分にはその気もないくせに自分のことを好きな異性をはべらせるのが好きなタイプはいるものです。これは男女両方にいる。けっこう見た目モテ系な人であっても、あるいはブサであっても関係ありません。

 

好きになった相手がこういうタイプであったら、傷が浅いうちに引き上げるのをお勧めします。得るものは何もない。友情ごっこに見せかけたハーレムの奴隷としてこき使われるだけです。しかも役得とか全然なくてせいぜい王様/女王様の仰ぎ係程度の役回りで。

 

こういった輩がインスタで砂浜で「#仲間」とか「#リア充」とか浮かれていたら「はっ、自己欺瞞自己欺瞞…」(自己欺瞞=自分自身に対して嘘をつくこと)と呟けばあら不思議、楽しそうな男女の集団があっという間にいびつなハーレムの集合体に見えてきます。

 

 

では、男女の友情が成立するのはどういう場合かと言えば、もちろん成立します。お互いが精神的に自立していて、友情の範囲を超えて依存し合わない場合に限り、成立します。


もちろん若くして精神的には既に大人の方は、年齢的には子供の頃から男女間で友情を育めるでしょうし、死ぬまで(死んでも)出来ない人もいます。

 

これはどちらが正しいとか間違っているとかいう問題ではありません。もちろん、現代日本ではいちいち恋愛感情を絡めていたらなかなか社会生活が成立しませんから、恋愛型の人も普段は隠していてほしいものですが、持って生まれた性分は直しようがない。

 

一番問題なのは、異性を友人として扱えない人がそれに気づかず(たちの悪い人だとあえて気づかないふりをして)、無理矢理友情ごっこをして人間関係を引っ掻き回すことです。

 

「えー私は本当に何もしてないのに向こうが勝手に」
と思ったそこのアナタ!
アナタは自立していたかもしれない。けれど相手は違っていたのでしょう。その時は彼/彼女のためにさりげなく距離を置くのも優しさです。


読んでくださってありがとうございます。